前回「目の前の課題をこなしていけば、じきに楽になれる」というのは幻だというお話をしました。
今回はその続き、「じゃあどうすればいいか」というお話をしまーす。
前回も話したけど、「課題」はこなしてもこなさなくてもオッケー。
結局またあらたな「課題」さんがてくてく歩いてきて、「こんにちはー!一緒にあーそびーましょー♪」って話しかけてくるから。
んで、そいつをこなしてもまたあらたな「課題」さん3世が・・・。という具合に、無限ループだから。16世で革命が起きて終わるとかもないから。
というわけで、課題はこなさんでもいいという話を前回したわけですが、じゃあ何をするのかって話。
課題をこなさない→なんにもしなーい、ってなっちゃうと、それはマズい。
それは夏休みの宿題が終わった学生とニート以外はできないし、もし夏休みの宿題が終わっててもニートでも、時間があるならその時間を有意義に過ごしてほしいところ。
課題をこなさない代わりにやってほしいこと。
それは、すきなことをする。
はい、結論でましたー!!
まず、人間がやることを図解するとこんな感じー。
なんか「日々のToDo」とかいう得体の知れないものがいるけど、これはつまり、「明日の会議の準備をする」だとか、「本屋でnon-noを買う」だとか、「スタバで本の原稿を書く」とか、「やる」と意識してやってること。そういやnon-no明日発売だね。
もちろん、「日々のToDo」には、ほんとはやんなくていい「課題ちゃん」とリンクしちゃってるものも中にはある。「課題」を「ToDo」に落とし込むタイプのスケジューリングなんかはその典型。
そしてここに、「すきなこと」を加えると、こんな感じ。
「すきなこと」「日々のToDo」「課題」の3つの丸が全部リンクして重なった、例えて言うなら色とか光の三原色の図みたいな感じになると思ったでしょ?残念!「課題」と「すきなこと」はリンクしないので、実際はめっちゃいびつな図でした〜(笑)
でも「日々のToDo」と「すきなこと」はリンクすることがあるんだよ♪
さっきの例で言えば、「カフェに居る」のが「すきなこと」なら、「スタバで本の原稿を書く」とかはリンクするよね。
そしてそして、この「すきなこと」の丸。
なんかめっちゃ「やること」の丸から飛び出してるよねー。
図を読み解くのが得意な方ならおわかりかもしれませぬが、みんな難癖つけて「すきなこと」をやんないんだよねー。
「時間」がない。
「お金」もない。
ナイナイばっかでキリがない♪(西川貴教風に)
だから、「すきなこと」の丸は、めっちゃ外れてる。
ちなみに「日々のToDo」が「やること」の丸に収まってるのは、「やることじゃない」ならそれはもう「ToDo」じゃないから。
「課題」が「やること」の丸に収まってるのも、「やることじゃない」ならそれはもう「課題」ではなくなってるから。
「課題」の方をもっと詳しく説明すると、「課題」って、「克服しなきゃいけないからいつか取り組む」とか「やんなきゃいけないからいつか取り組む」って意識があるものでしょ?
「いつかやる」に入っている以上、それは「やること」ゾーンのものなんだよね。実際はやんなかったとしても。
実際にやるかどうかは別問題。「いつかやんなきゃ」と思っているなら、それは「やること」として人は認識して、脳領域の一部を占領する。
ただ、「課題」を放棄した人間にとって、もはや「課題」は「やること」ではない。
でもそれは「課題」を「やること」ゾーンから追い出したのではなくって、「課題」そのものの存在を抹消したということ。
「課題」はあくまで「やんなきゃ」と思ってるから「課題」として存在できるのであって、もしそれが「やんなくていーじゃん♪」ってなったら、もはやその「課題」は存在しないものになってしまう。
だ・か・ら、
「課題」は「やること」ゾーンの外には存在できないのですぅ〜。
そんじゃ、今度は「課題」と「すきなこと」の関係を見ていこうか。
「課題」と「すきなこと」って、重なってないよね。
なんでだと思う?
今まで何度か説明してきたけど、「課題」って「やんなきゃ」って思ってることでしょ。
「やんなきゃ」って、実はある文言が省略されているのです。
「やんなきゃ」って、本当は、
「(やりたくないけどやんなきゃいけないから)やんなきゃ」
なんですよ!!
「すきなこと」を「やりたくない」人なんかいないよね。「旅行が好き」なのに「旅行行きたくない」って矛盾してまっせ?「具合悪いから行きたくない」も、それは「行きたくない」じゃなくて「今は行けないけど、行きたい」の間違いだから。
「課題」ってもんは、あくまで一般論だったり、メソッドやノウハウに照らし合わせた結果、「こうじゃなきゃいけないよねー」ってものでしかない。
ただ「すきなこと」をやってると、「ここをもっとこうした方がいいんじゃないか」っていう「課題」みたいなものが見えてくることがあるよね?
それはねー、「課題」じゃなくて「改善可能点」なんだー。
そんなのただ言い回しが違うだけじゃん!って思うかもしれないけど、実は似てるようでこの2つは大きく違う。しかも、カンタンに説明できるよ。
「改善可能点」は、「改善できる点」。
「課題」は、「改善すべき点」。
「改善可能点」は、自分発。
「課題」は、他人発。
「課題」は「こうしなきゃいかんよね」って「他人から」押し付けられるもの。自分で押し付けているようなものも、実はさっきも話に出た「一般論」やら「メソッド」やら「ノウハウ」やら、他人が作ったものに押し付けられてるから、結局みんな他人発。
一方で「改善可能点」は、「ここをこうしたらもっと面白そう・ワクワクするものができる」っていう「自分発の感情ベース」で形成されるもの。
こういうわけで、明確な違いがありますので「改善可能点」と「課題」をごっちゃにしないでほしいなーって、ほりみりおは思います。
最後に一つ補足。
実は相手にとっての「課題」が、あなたにとっての「改善可能点」だったりすることがあります。
誰かから「○○が課題だよね〜」って言われても、それをあなたが「確かに〜!○○が改善できたら、もっと面白いものができそう!」って思って、それが実現した時のイメージがワクワクするものなら、それはあなたにとっては改善可能点です。
なぜかって?
相手は「○○が改善されたら、もっといいものになると思うから、改善すべき」というべき論で話しているのに対し、あなたは「○○が改善されたら、もっと面白くなる!」っていう感情ベースで考えてるから。
「課題」は論理の子であり、「改善可能点」は感情の子である。
――ほりみりお
ドヤッ!
なんかいい感じにまとまったのでこの辺でお話を終わりにしようと思います♪
おさらいすると、
- 「課題」は、やんなくていい!
- 代わりに「すきなこと」をやろう!
- 「すきなこと」をやって出てくるのは、「課題」じゃなくて「改善可能点」
- 「課題」は論理ベース、「改善可能点」は感情ベース
というお話でしたー!
そろそろエッセイ第2号も書きたいなー。
ばいばーい。