ほりみりおから見た世界

オリジナルスケジュールノートと、より良い明日のための深い思いの発信基地

灰色の世界

 思うに、灰色という色は、この世界を緩やかに支配している。

 空が厚い雲に覆われ、灰色の支配がはじまると、私はまるで、鏡の中に閉じ込められたような、そんな錯覚を覚える。灰色の支配によって、青々とした木々は深く鈍い緑へと姿を変え、山々は不穏な表情を見せる。青空の下で心地よい音色を奏でていたはずの海も、何か恐ろしいものを連れてくるような、そんな気配さえ漂う。サラサラしていた浜辺の砂も、水気を含んだかのようにずっしり、重く感じる。海沿いの道を颯爽と走っていた白いハイゼットは、まるで重たい鉄の塊。――いや、以前から鉄の塊であることに代わりはないのだが、灰色の世界においては、鉄の塊はさらに強大な権力者のごとく振る舞うのである。

 

 私はぼーっとしたくなった時、この浜辺へと足を運ぶ。何キロにもわたって伸びる砂浜に腰掛け、ただただ何をするでもなく、時の流れに身を任せる。ただそれだけで、日々の煩悩から解放されるような、そんな気がするのだ。もちろん普段の生活に戻れば、煩悩や課題は再び私の前に立ちはだかる。だが、ここで過ごす何でもない時間が、私の心と頭の中を整理し、ムダな思考をすべて洗い流してくれる。そうすることで、私はまた、日常の課題に立ち向かう力を得るのである。

 ただ、世界が灰色に包まれると、状況は一変する。私の中の不安は増幅され、化け物が私を飲み込もうと、大きく口を開き、迫ってくる。その口の中は、奥を見通せないほど、黒く、暗い。

 そんなときは目を閉じて、この灰色の怪物が過ぎ去るのを待つ。私の経験上、しばらくして目を開けたあとの世界は、彩りには欠けるが、白の支配がやや強くなる。そうすれば私は、灰色の世界に飲み込まれずに済むのである。

 今日もまた、灰色の世界が私を支配しにやってきたようだ。私は瞼を閉じ、怪物の通過を待つ・・・。

 

 しばらくして、私は目を開けた。

 ――おかしい。

 木々は依然として鈍い緑を放っており、葉と葉を擦り合わせて不協和音を奏でている。遠くに目を遣ると、テトラポットにぶつかった波が、大きな水しぶきを立てている。私は再び、目を閉じる。

 ・・・あいつがやってきた。

 暗闇の中で、2つの目玉がギロリとこちらを睨みつけた。次の瞬間、そいつは大きな口を開き、ものすごい勢いで私を飲み込んだ。

 

 暗い、それは暗い闇の中――。どれほどの時が流れたかさえも定かではない。ただ私は、そんな状況に置かれてもなお、驚くほど冷静であった。どうあがいても、きっと出口は見つからない。そんな気がしていたのだ。

 でも、お腹は空くし、喉は渇く。どんなに暗い世界だろうと、生きている以上、我々は人としてのさだめから逃れることは出来ない。次第に私も、生きるために必死に出口を探し始めた。

 どこまでも、どこまでも、闇はつづく。一体どこに出口はあるのだろう。声を出しても、その声はすべて闇に吸い込まれ、自分がどこにいるかさえも見当がつかなかった。

 ただ、ひたすら探した。

 光を。

 私の命を繋いでくれる、光の溢れる世界を――。

 

 探し回って少し疲れた私は、その場に腰掛けて休むことにした。暗闇の中だ。腰掛けようにも、それにちょうどよい椅子や岩場さえ見つけられない。そんな真っ暗闇の中腰掛け、ふと脇に目を遣ると、どれぐらい離れているかは分からないが、遠くの方の一点に何かがあるのが確認できた。考えてみれば不思議なことだ。自分の足下さえはっきり見えない状況で、なぜその遠くの一点だけがはっきり確認できるのだろう。ただその時の私は、そんな論理的な思考が働くような状態ではない。空腹と喉の渇きが限界に近い中、私は重い体を2本の足で必死に支えながら、その一点に向かって、右に左によろけながら歩いていった。

 「・・がい・・・て・・・」

 近づくに連れて、だんだん人の声のようなものが聞こえてきた。大人の声ではない。子供の声、しかもまだそこまで歳のいっていない、小学校低学年ぐらいの子供の声だ。その子供がこちらに向かって、何かを必死に訴えている。私は少し歩みをはやめ、その子供のもとへ近づいていった。

 あと少しというところで、私は目の前の子供の存在に愕然とした。

 「あれは・・・わたし」。

 必死に訴えかけている子供はまぎれもなく、幼少時代(おそらく5,6歳ぐらい)のわたし自身だった。そのわたしが、暗い暗い闇の中、檻のような鉄格子の内に囚われている。必死になって、私はわたしのもとへと駆け寄った。

 「おねがい!!ここからだして!!!」

 一体どこのだれがこんなひどいことをしたのだろう。まだ年端もいかない子供を、こんな暗い闇の中の、こんな堅牢な檻の中に囚えるなんて・・・。檻の横の壁に、牢を開ける鍵のようなものが掛けてあった。私はその鍵を取り、檻の中に囚えられていたわたしを救出した。

 一体どうしてこんなことになってしまったのか。思い出すのも辛いだろうが、わたしはそれを承知で彼に訊いてみた。

 

 「ぼくはただ、おうちにあるおもちゃで遊んでいただけなんだ。」

 そう言って彼は、掌に持っていた小さな塩ビの人形を私に見せた。当時流行っていたアニメに出てくるキャラクターの人形である。150以上の種類がある人形を、当時私は好んで集め、そしてその人形で遊んでいた。

 「そしたらおかあさんがやってきて、『もう小学生になるんだから、ちゃんとべんきょうしなさい』ってぼくにおこったんだ。ぼくは『でもぼくはまだあそんでいたい』って言って、いうことをきかなかったんだ。そしたらこんどは、おかあさん以外のひとたちも、『小学生になるんだから、もっとちゃんとしなさい。すきなことばっかりやってちゃダメだ』っておこったんだ。でもぼくは無視してあそびつづけた。そしたらふたりのひとがやってきて、ぼくをここに力づくで入れて、閉じ込めたんだ。そしておかあさんやまわりのひとたちはみんな、それなりにいうことをきくきみのことをかわいがりはじめたんだ。なにかやりたいと思っていても、きみは空気を読んで、まわりのひとたちに合わせてた。つらそうだった。そんなきみをたすけたくて、ぼくは必死に大声でここからさけんでいたんだ」。

 

 私の頬に涙が伝った。この子は大人の社会に迎合する私を、ずっと遠くから眺めていたんだ。そしてこの子――わたしは、社会に迎合するお利口な私が暖かい布団で寝ている間も、美味しいご飯を食べている間も、海外のリゾート地で羽を休めている間も、ずっとこの暗い檻の中に囚えられていたのだ。

 「でもきみはきづいてくれた。今のじぶんが、ほんとうのじぶんじゃないことに。そして、ここにやってきた」。

 次の瞬間、私は彼を抱きしめていた。

 「ごめんね。本当にごめんね」。

 「いいんだよ。たいへんだったね」。

 「君のほうが大変だっただろう?」

 「ううん、いいんだ。きみがちゃんと、ぼくをむかえにきてくれたから・・・」。

 

 浜辺の砂は、まだ湿り気を含んでいる。空には厚い雲が広がっており、太陽の光を遮っている。ただ心なしか、波は以前と比べると穏やかになっている。そんな気がする。
光のある世界に戻ってきたが、どうやらこの世界はまだ灰色の支配下にあるようである。スマホを開くと、もう5時を回っていた。わたしは砂浜から立ち上がり、家に向かって歩き始めた。

 ふと道を歩く人に目を遣った。子供がキャッキャキャッキャと楽しそうにはしゃいでいるのを、親と思しき大人が必死で追いかけている。子供は実に楽しそうだ。自分の心の赴くままに、今この瞬間を謳歌している。大人の方はというと、そんな子供を最初は柔らかい表情で注意していたが、次第に顔がこわばり、今は少々険しい表情で追いかけている。

 そんな大人の胸元に目を遣ると、そこには不自然に暗い世界が広がっていた。わたしを囚えていたような、暗い暗い、右も左もわからなくなりそうな真っ暗な世界だ。そしてそれは、ほかの大人たちも同様であった。そしてその暗闇の奥の方には、小さな点のようなものが見えた。きっとあの点の先で、自由奔放で、無邪気で、社会がどうとか、お金がどうとか、そんなことお構いなしのちっちゃなこどもが待っている――。

 気がつくと、先程の子供は妙におとなしくなっていた。

 そしてその子の胸元で、新しい黒の世界が、密かに広がり始めていた。