ほりみりおから見た世界

ショートエッセイや何気ない日常を、ほりみりお視点でお届けします。

ポスト手帳時代 その2

昨日の投稿の続きになります。

まだお読みでない方は、こちらからどうぞ

horimirio.hatenablog.com

 

 

 

ポスト手帳時代の主役


 

ズバリ、言いましょう。

 

ポスト手帳時代の主役、

 

 

 

 

それは、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノートです!!

 

 

 

 

 

「なんやねん!焦らした割にはベタやなぁ〜〜!」

 

と、普段関西弁で喋らない人も思わず関西弁になりそうな答えですが、ただのノートではないので、最後までお付き合い下さい。

 

 

 

「ノート」と言うと、一般的な大学ノートを思い浮かべる方も少なくないかと思いますが、私ほりみりおは、いわゆる大学ノートは使用しません!

 

だって、大学ノートは閉じられてるから、それだと前回の記事でお話した「システム手帳のように抜き差しできる」という利便性が失われてしまうじゃないですか〜。

だから大学ノートは使いません。

 

 

 

さて、「システム手帳のように抜き差しができる」というメリットを失わないノートと考えると、真っ先にみなさんアイツを思い浮かべると思います。

 

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

 

 

ルーズリーフです。

 

 

 

 

 

ルーズリーフだったら、システム手帳みたいにカンタンに抜き差しができて、しかもプラスチック製のものなら軽量なので、私が考える「軽い」という条件もちゃんと満たしてくれます。

 

これで相棒はルーズリーフちゃんにキマリだね♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・って思ったでしょ?笑

 

 

 

 

イイ線いってるけど、残念!不正解!!!

 

 

 

 

 

 

だってさ、ほかにどんな条件があった?

 

 

 

 

 

 

そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

リングが邪魔にならないって条件。

 

 

 

ルーズリーフ、リングめっちゃ邪魔やん!!!笑

 

 

 

 

 

というわけで、ルーズリーフもボツになりました。。。

 

 

 

大学ノートでも、ルーズリーフでもない、第3の案

 

なんちゃらコヴィーさんの自己啓発書みたいな見出しはさておき、大学ノートでも、ルーズリーフでもない。

「じゃあ何があるんだよ」って話ですよね。

 

 

 

見つけちゃったんです。

 

 

 

大学ノートのように軽く、ルーズリーフのように抜き差しできるノートを――。

 

 

 

 

 

それが、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リヒトラブ ツイストノート』

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AQUA DROPs ツイストノート|製品情報|株式会社リヒトラブ
※画像は公式サイトより引用

 

 

 

でっす!!!<バーン!

 

 

 

 

 

このノート、発売がだいぶ前の商品なので、文具マニアの方は大変良くご存知の商品だと思います。

 

 

 

ページを引っ張るとリングが開くという「変わり文具(モノ)」として登場したリングノートでしたが、正直発売当初は私、「だから、何?」って感じでした。

 

「ルーズリーフでええやん」って思ってました。

 

 

 

 

ところがこのツイストノート、

 

 

 

 

 

私がシステム手帳に代わるものとして望むすべての機能を備えていたのです!!

 

 

 

ツイストノートのココがすごい!!

 

この『リヒトラブ ツイストノート』、

 

まずはじめにお伝えしたいのは、

 

 

 

ノートだから、めちゃくちゃ軽い!!

 

という点です。

 

 

 

私がこれまで使っていた合皮のA5システム手帳バインダーですが、ネットで調べてみたらおよそ250gの重さがあるそうです。

大体缶コーヒーと同じぐらいの重さでしょうか。

そこにたっくさんのリフィルを入れるんですから、総じて500mlペットボトルぐらいの重さになっちゃいそうですね^^;

 

友人が使っている布張りのものも、気になったので調べてみました。

そっちは重量、およそ205gとのことです。およそにしては刻むね。笑

 

 

さて、この『リヒトラブ ツイストノート』、

 

果たして何gだと思います?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・100gです。

 

 

なんかいままでシステム手帳を使っていたのがバカらしくなる軽さですよね。笑

だって合皮の手帳の半分以下ですよ?60%カットですよ??

スーパーの値引き品でも60%オフはなかなか見たことないですよ。←

 

 

そんなわけで、このコはめちゃくちゃ軽い。

最初持ちくらべたとき、正直笑いがこみ上げて来ました。笑

 

 

 

 

 

他にもさまざまなメリットがあるのですが、

長くなってきちゃったので、一旦切ろうと思います。

 

 

では、また次回!!

 

 

ポスト手帳時代

 

びっくり!
半月も投稿してなかったんだね(笑)

自分のサボり具合にびっくりなほりみりおです。

 

 

さて、ブログを書くのは久々になりますが、じつはnoteでは着々とエッセイの数が増えています。

note.mu

それでもこんなに遅くなってしまったのには、れっきとした理由があります。

 

 

ここ最近、自分のあり方や、自分と手帳との関係性について、色々考え、試行錯誤していました。

 

自分の価値観。

自分がやるべきこと。

自分の幸せのカタチ。

 

音楽を聴いたり、

書店に行ったり、

豆腐の角に頭をぶつけたり、

少しでも髪をはやく乾かそうとヘドバンしたり、

買い物が二度手間になってイライラしたりしながら考えた結果、

自分でも想定していなかった結論に至りました。

 

今回はそんなかでも、

「手帳」

に関するお話を。

 

 

 

ほりみりお、手帳に不満を持つ


 

私ほりみりおは去る2016年からA5サイズのシステム手帳使いでしたが、自分なりに改善に改善を重ねるなかで、下記の不満が出てきました。

 

・重い

・でかい

・リングが邪魔

 

はい、典型的なシステム手帳あるあるですね(笑)

これに対し、ほりみりおはこのように対処しました。

 

・A5サイズからバイブルサイズへ変更

・バイブルサイズのなかでも、標準サイズより小さいジャストサイズの本体を使用

・リング径が小さいスリムタイプに変更

 

うん。これで万事解決♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・って思った?(笑)

 

残念ながら、そうは行かなかったのです。

この対処の結果がこれです。

 

 

 

・ちっちゃいから、めっちゃ細かい字で書き込まなきゃいけない

・ちっちゃくても、やっぱり重い

・ちっちゃくても、やっぱりリング邪魔

 

 

 

 

 

 

うん、ほとんど解決してないね^^;

というわけで、小型化による問題解決は、あえなく失敗に終わったわけです。

 

 

 

ほりみりお、手帳を捨てる


 

ほりみりおは、考えました。

 

「どうすれば、書きやすくて、軽い手帳ができるんだろう・・・。

 

考え、

 

考え、

 

考え・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒラメキました!電球ピコーン!!←

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、私の手帳にたいする不満は、

 

・重い

・でかい

・リングが邪魔

 

でした。

 

 

 

だったら、

 

・軽くて、

・コンパクトで、

・リングが邪魔にならない(=書きやすい)

 

この3点さえ満たせばよい。

 

 

 

そう。

 

 

 

 

 

この3点が満たされれば、別に「手帳」である必要はないのです。

 

 

 

新たな媒体、ついにカタチに!


 

こうして「手帳でなければならない」というバカバカしい固定観念を捨てた私は、様々な紙製品を検討しました。

 

 

そしてついに、

 

 

 

・軽くて、

・コンパクトで、

・それでいていっぱい書けて、

・リングが邪魔にならず、

・システム手帳のように中身を抜き差しでき、

・スケジューリング機能もある

 

 

 

そんなモノが、カタチになりました!!

 

 

これを手に入れた私にとって、もはやシステム手帳は無用の長物です。

 

 

こうして私は、手帳を捨てるに至りました。

 

別にすべてを可燃ごみや紙ゴミとして処分したとか、そういうわけではありません。

今後の開発に役立つ貴重な資料ですからね。

 

必要ないので、携帯しなくなったという意味です。

 

これからは重たい手帳なんかカバンに入れなくても、この新たな媒体を持ち歩けばいいのです。

 

 

 

果たして、この新たな媒体の正体とは!?

 

 

 

 

 

 

また次回!!

 

 

新たなスタート

今日から『ほりみりおから見た世界』のみの体制になりました。

ほかに管理するブログがないということが、
これほど気持ち的に楽なものかと実感している今現在です。

 

そんな8/1ですが、今日は日中はずっと友人に会っていました。

彼に私の仕事について占ってもらったのですが、
妙に納得した自分がいました。

 

閉鎖したブログ『手帳と自分史あれこれ』は、
そのタイトルにもある通り、
「手帳」と「自分史」をテーマにしたブログでした。

実際私は、
「手帳クリエイター」を目指してオリジナル手帳を作り、
「自分史コンサルタント」を目指し、
自分史を誰もがちゃんと掘り下げられるメソッドを
模索・考案しているところでした。

今日占ってもらってわかったことは、
この「手帳クリエイター」と「自分史コンサルタント」というものは、
お金に困らず、自他共楽しく、
かつそれによってこの世界が面白いもので満たされるという
私の目指すものの条件を満たしていないということでした。

そしてそれに加え、
私にとっては「エッセイスト」という仕事が、
それを満たしてくれる最も適した仕事のようなのです。

 

実際、エッセイを書いているときというのは
私にとって最もワクワクする時間の1つです。

そして、
「それで食っていけたらこれほど幸せなことはない」
とも考えていました。

 

今回友人の占いの結果で、
エッセイストとして活動することがトップに出てきたという事実は、
わたしにとって何よりも背中を押してくれるものとなりました。

 

8/9にnoteのアカウントを復活させ、
そこで気が向いたときにエッセイを書こうと思っていました。

ですが、
たまらず今日noteアカウントを復活させ、
先ほど最初のエッセイを書き上げました。

タイトルは、
このブログのタイトルと同じ『ほりみりおから見た世界』。

このエッセイで書いたことこそが、
私の思想の原点だと言えるかもしれません。

 

そして、このエッセイを書いているとき、
私はいままで感じたことがないほど、
一種の"ゾーン"に入っていました。

「本当に好きなことをやっているときって、こういうものなのだな」と、
書き終わったときに心から感じました。

そして、それと同時に、
これまで自分が「ゾーンに入っている」と感じていたのは、
実はそうでもないんだなぁと感じました。

 

本当にゾーンに入ったあとというのは、
「これがゾーンに入っているということなのかな?」
という感じは全くありません。

「これこそゾーンに入っているという状態だ」
という確信しかないのです。

個人差はあるのかもしれませんが、
少なくとも私は、そのように感じました。

 

このブログも今、そこまで力を入れずに、
指と思考の流れるままに書いています。

それでもこれだけ多くのことを書くことができるのは、
やはり私は書くことが好きであり、
それと同時に、
心に思ったことしか書いていないから。

私は、そう思います。

ブログを統一します

 

お久しぶりです。ほりみりおです。

 

この一週間ぐらい、ブログを全く更新していませんでしたが、
これにはれっきとした理由があります。

というか、私が理由もなくブログを放置するとかあり得ないし←自意識過剰ww

 

 

・・・そんな冗談はさておき、本題に移ります。

 

このブログ『ほりみりおから見た世界』は、今月スタートさせたばっかの、
正直まだまだ全然新しいブログです。

そして、このブログのスタートと同時に、
手帳と自分史あれこれ』という、
もう一つのブログもスタートさせています。

 

そんなわけで2つのブログを同時スタートさせたわけですが、
正直「ブログ1つでいいかな?」と思った次第です。

そして今回、自分とブログの関係についてもう一度真剣に向き合う時間をとり、
「なんのためにブログを書くのか?」
ということを、今一度自分の中で整理する時間を取りました。

 

そうして出た結論が、

 

「ブログを統合する」

 

だったわけです。

 

 

この選択が正しいかどうかは、やってみなければわかりません。

はっきりしていることは、
「やってみなければわからない」ということ
ただそれだけです。

 

それでも私がブログを統合しようと思った理由は、
「媒体の最適化」にあります。

 

 

もともとこのブログ『ほりみりおから見た世界』は、
私ほりみりおの視点で切り取った世界をベースにしたエッセイを書くことを
大きな目的としていました。

そしてそれは、
「note」という別の公開媒体と比較検討した上で決定したことでした。

ですが、ここでブログを書き進めていって、そして、他のSNSなどの媒体に触れて思ったことは、

 

「やっぱりnoteで書こう」

 

これでした。

 

 

というわけで、今後エッセイや短い物語などは、noteで書いていこうと思います。

まだnoteアカウントの開設をしていないので、
開設次第当ブログにて告知させていただこうと思います。

 

そしてもう一つのブログ『手帳と自分史あれこれ』については、
明日7/31をもって閉鎖とさせて頂きます。

記事については、統合できるのであれば統合するかもしれません。

ただ方向性が当ブログとは異なるため、
おそらく「バックアップを取って破棄」というカタチを取ると思います。

 

 

今後の当ブログの方向性についてですが、
引き続き私ほりみりおから見た世界を切り取り、
発信していくという内容にしていこうと思います。

そのなかで、今回閉鎖する『手帳と自分史あれこれ』のテーマの1つになっている
「自分史」などについても語っていくことになるであろうと思っています。
というか、避けて通れないと思います。

 

 

そんなわけで皆様、
今後ともよろしくお願いいたします。

 

2017.07.30
ほりみりお

現実に押しつぶされそうなとき

 「やっていることが、うまくいかない・・・」

 「大失敗だ。もう終わりだ・・・」

 

 人生を生きていると、そんな場面に出くわすこともあるよね。

 

 

 私はどうかって?

 

 「うまくいかない。もうダメだ・・・」

 

 そう思うことなんてしょっちゅうだよ。

 2、3日に1回ぐらい、そんな絶望感を味わうこともある。

 

 私だって、人間だもん。みんなと同じように、楽しいときには笑い、悲しいときには泣く。辛い時には、弱音を吐きたくもなる。もしかしたらみんな以上に浮き沈みが激しいかもしれない。

 

 今こうやって文章を書く人になって、手帳を作る人になって、朝活を主催とかするようにもなった。でも正直、うまくいかないことばかり。10やったら、1はうまく行くけど、残りの9はうまく行かない。

 

 正直、辛いよ?悔しいよ?

 

 「なんで、自分にはこんなこともできないんだ」って、

 

 絶望にも似た感情を味わうことだってある。

 

 

 今まで自分が生きてきた軌跡、自分史を、私はよく知っている。それを精査して、107ページにもわたる自分史を書いてきたんだから。でも、そんな私でさえも、最近感じる辛さだとか、悔しさだとかは、今まで感じてきたことがないものなんだよね。そのへんは自分の経験の浅さを痛感して、「やっぱりまだ若いんだな〜」って感じちゃう。

 

 

 いままでも「辛い」とか、「苦しい」とか、感じてきたことはある。

 

 でもその時の「辛い」とか、「苦しい」は、いつも周りの誰かのせいにしていた。

 

 「自分が○○されるから、自分は今、辛い」

 「世の中がこんなだから、自分は今、苦しい」

 

 そういうときに感じる「辛い」とか、「苦しい」とかって、どうしても「諦め」に似た感情が支配する。「自分にはどうしようもない」っていう。

 

 その先に待っているのは怠惰か、自己否定。

 

 「どうしようもないから、なにもしない」

 「こんな私は最悪だ、ダメ人間だ」

 

 そんな感情が支配してしまう。

 

 

 でも、最近私が感じている辛さや、悔しさってのは、それとは全くちがう。

 

 「なんで上手くいかないの?」

 「こうしたいのに、どうしてできないの?」

 

 それは下手したら、自己否定にもつながりかねない感情かもしれない。

 

 

 でも、それで感じるのは、

 

 「悔しい」ってこと。

 

 

 悔しい。

 

 悔しい。

 

 すごい悔しい。

 

 こんなに頑張ってるのに。

 

 こんなに努力してるのに。

 

 なんで上手くいかないの?

 

 悔しい。

 

 

 この「悔しさ」というものの存在こそが、私が生まれ変わっている証でもあるんじゃないかって、そう思う。

 

 今までどおりの私だったら、「悔しい」とは思わなかった。きっとまた誰かのせいにして、「悪いのは自分じゃない」って、逃げてた。何かのせいにすることで、自己を正当化しようとした。

 

 でも、そうじゃない。

 

 自分が「これをやりたい」って思って、それで進んでいって、壁にぶつかって、心が折れそうになって・・・。自分から動いていって、そこで辛さが、悔しさがやってくる。

 

 今の私は、自分の行動に対して「結果が悪いのは、自分に原因がある」ということを理解していて、「今までは人のせいにしてきた」ということを理解していて、それを自分の中に落とし込むことができている。

 

 それって、すごい勇気が要ること。

 

 人間には自己防衛本能が備わっていて、自分に危機が迫ってくると、自分を守ろうとする。その能力こそが、今まで人類を絶滅から守ってきたし、そうすることで人は命をつないでくることができた。だから人は、どうしても自分に責任が降りかかろうとすると、他人のせいだとか、周りの何かのせいにして、自分を守ろうとしてしまう。

 

 「自分の責任を認める」ということは、人間の本能に逆らうことなんだ。だからそれを乗り越えることって、勇気が要る。

 

 でも、それを乗り越えないと、人は成長はできない。自分の問題だと認識できてはじめて、その問題と真正面から向き合うことができて、そうしてはじめて次のステップが見えてくる。

 

 でも、それってとっても辛いことだし、苦しいこと。だから余計に、人は逃げたくなってしまう。また誰かのせいに、何かのせいにしたくなってしまう。

 

 でも、今の私に「逃げる」という選択肢はない。壁にぶつかっている。それはとても辛くて、苦しいことで、それをなかなか乗り越えられない自分が悔しい。それでも逃げない。

 

 なぜなら、それが私が本当にやりたいことだから。達成したい夢だから。

 

 自分のいる世界が、

 

 この世界が、

 

 より楽しく、

 

 明るいものになる。

 

 それを絶対に叶えたいから。

 

 そして、まずは自分を、その世界に連れて行く。

 

 そのために、私は自分の手帳を、朝活を、「書く」ということを続けている。

 

 それで、うまくいかないこともある。悩むこともいっぱいある。

 

 悔しい。

 

 悔しい。

 

 そんな気持ちが、私を悲しみに沈めることもある。

 

 

 それでも私は、何度でも立ち上がる。

 

 たとえ身体がボロボロでも、

 

 私のために、

 

 私を支えてくれているみんなのために、

 

 この世界のために、

 

 たとえ地を這ってでも、

 

 私は前に進む。

 

 

 ときに現実は冷酷で、残酷だ。その強大な力ゆえに、現実に押しつぶされそうになることもある。

 

 そんなとき私は、自分をいたわる。

 

 現実に押し潰されそうなときほど、自分は自分と向き合えている。本気で生きている。本気だからこそ、悔しいし、辛い。本気じゃなかったら、悔しくなんかない。「まあこんなもんか」で終わってしまう。

 

 悔しいということは、そこで燃えている魂が本物だという証なんだ。

 

 だから私は、たとえ辛くても、うまくいかなくて悔しい思いをしても、「これは今の方向で間違っていないという証なんだ」と自分をいたわりながら、前に進み続ける。

 

 そうやって本気で魂を燃やしいていく人が一人、また一人と増えていったら、この世界はもっと面白いものになるような、そんな気がしてならない。そして、そんな世界は、人と人が憎しみ争う世界ではない。そこで繰り広げられる争いは、運動会で子供が勝ちを争うような平和に満ちた争いであり、それを見ている人の心が熱くなったり、ほんのりあたたまるものなのだ。

 

 

 人間は、感情というものを認識できる。

 

 だったらそれを最大限味わおう。

 

 「辛い」

 

 「悔しい」

 

 そんなときは、その辛さや悔しさを思う存分味わって、思いっきり涙を流そう。

 

 そうやって感情を味わい尽くしたら、そこではじめて、これからどうするかに向き合えばいい。

 

 本気の涙のあとに見えてくるのは、「なんとかしてこの困難を乗り越えてやろう」っていう、本気の気持ちだ。

 

 大丈夫。

 

 あなたは、現実から逃げない立派な勇者なんだから。

 

 

「課題」を放棄したら・・・

前回「目の前の課題をこなしていけば、じきに楽になれる」というのは幻だというお話をしました。

horimirio.hatenablog.com

 

今回はその続き、「じゃあどうすればいいか」というお話をしまーす。

 

 

 

前回も話したけど、「課題」はこなしてもこなさなくてもオッケー。

 

 

結局またあらたな「課題」さんがてくてく歩いてきて、「こんにちはー!一緒にあーそびーましょー♪」って話しかけてくるから。

 

 

んで、そいつをこなしてもまたあらたな「課題」さん3世が・・・。という具合に、無限ループだから。16世で革命が起きて終わるとかもないから。

 

 

 

というわけで、課題はこなさんでもいいという話を前回したわけですが、じゃあ何をするのかって話。

 

 

課題をこなさない→なんにもしなーい、ってなっちゃうと、それはマズい。

 

 

それは夏休みの宿題が終わった学生とニート以外はできないし、もし夏休みの宿題が終わっててもニートでも、時間があるならその時間を有意義に過ごしてほしいところ。

 

 

課題をこなさない代わりにやってほしいこと。

 

 

それは、すきなことをする。

 

 

はい、結論でましたー!!

 

 

 

まず、人間がやることを図解するとこんな感じー。

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なんか「日々のToDo」とかいう得体の知れないものがいるけど、これはつまり、「明日の会議の準備をする」だとか、「本屋でnon-noを買う」だとか、「スタバで本の原稿を書く」とか、「やる」と意識してやってること。そういやnon-no明日発売だね。

 

 

もちろん、「日々のToDo」には、ほんとはやんなくていい「課題ちゃん」とリンクしちゃってるものも中にはある。「課題」を「ToDo」に落とし込むタイプのスケジューリングなんかはその典型。

 

 

そしてここに、「すきなこと」を加えると、こんな感じ。

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「すきなこと」「日々のToDo」「課題」の3つの丸が全部リンクして重なった、例えて言うなら色とか光の三原色の図みたいな感じになると思ったでしょ?残念!「課題」と「すきなこと」はリンクしないので、実際はめっちゃいびつな図でした〜(笑)

 

 

でも「日々のToDo」と「すきなこと」はリンクすることがあるんだよ♪

 

 

さっきの例で言えば、「カフェに居る」のが「すきなこと」なら、「スタバで本の原稿を書く」とかはリンクするよね。

 

 

 

そしてそして、この「すきなこと」の丸。

 

 

なんかめっちゃ「やること」の丸から飛び出してるよねー。

 

 

図を読み解くのが得意な方ならおわかりかもしれませぬが、みんな難癖つけて「すきなこと」をやんないんだよねー。

 

 

「時間」がない。

「お金」もない。

 

 

 

ナイナイばっかでキリがない♪(西川貴教風に)

 

 

だから、「すきなこと」の丸は、めっちゃ外れてる。

 

 

ちなみに「日々のToDo」が「やること」の丸に収まってるのは、「やることじゃない」ならそれはもう「ToDo」じゃないから。

 

 

「課題」が「やること」の丸に収まってるのも、「やることじゃない」ならそれはもう「課題」ではなくなってるから。

 

 

 

「課題」の方をもっと詳しく説明すると、「課題」って、「克服しなきゃいけないからいつか取り組む」とか「やんなきゃいけないからいつか取り組む」って意識があるものでしょ?

 

 

「いつかやる」に入っている以上、それは「やること」ゾーンのものなんだよね。実際はやんなかったとしても。

 

 

実際にやるかどうかは別問題。「いつかやんなきゃ」と思っているなら、それは「やること」として人は認識して、脳領域の一部を占領する。

 

 

ただ、「課題」を放棄した人間にとって、もはや「課題」は「やること」ではない。

 

 

でもそれは「課題」を「やること」ゾーンから追い出したのではなくって、「課題」そのものの存在を抹消したということ。

 

 

「課題」はあくまで「やんなきゃ」と思ってるから「課題」として存在できるのであって、もしそれが「やんなくていーじゃん♪」ってなったら、もはやその「課題」は存在しないものになってしまう。

 

 

だ・か・ら、

 

 

「課題」は「やること」ゾーンの外には存在できないのですぅ〜。

 

 

 

そんじゃ、今度は「課題」と「すきなこと」の関係を見ていこうか。

 

 

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「課題」と「すきなこと」って、重なってないよね。

 

 

なんでだと思う?

 

 

 

今まで何度か説明してきたけど、「課題」って「やんなきゃ」って思ってることでしょ。

 

 

「やんなきゃ」って、実はある文言が省略されているのです。

 

 

「やんなきゃ」って、本当は、

 

 

「(やりたくないけどやんなきゃいけないから)やんなきゃ」

 

 

なんですよ!!

 

 

 

「すきなこと」を「やりたくない」人なんかいないよね。「旅行が好き」なのに「旅行行きたくない」って矛盾してまっせ?「具合悪いから行きたくない」も、それは「行きたくない」じゃなくて「今は行けないけど、行きたい」の間違いだから。

 

 

「課題」ってもんは、あくまで一般論だったり、メソッドやノウハウに照らし合わせた結果、「こうじゃなきゃいけないよねー」ってものでしかない。

 

 

 

ただ「すきなこと」をやってると、「ここをもっとこうした方がいいんじゃないか」っていう「課題」みたいなものが見えてくることがあるよね?

 

 

それはねー、「課題」じゃなくて「改善可能点」なんだー。

 

 

そんなのただ言い回しが違うだけじゃん!って思うかもしれないけど、実は似てるようでこの2つは大きく違う。しかも、カンタンに説明できるよ。

 

 

「改善可能点」は、「改善できる点」。

「課題」は、「改善すべき点」。

 

「改善可能点」は、自分発。

「課題」は、他人発。

 

 

「課題」は「こうしなきゃいかんよね」って「他人から」押し付けられるもの。自分で押し付けているようなものも、実はさっきも話に出た「一般論」やら「メソッド」やら「ノウハウ」やら、他人が作ったものに押し付けられてるから、結局みんな他人発。

 

 

一方で「改善可能点」は、「ここをこうしたらもっと面白そう・ワクワクするものができる」っていう「自分発の感情ベース」で形成されるもの。

 

 

こういうわけで、明確な違いがありますので「改善可能点」と「課題」をごっちゃにしないでほしいなーって、ほりみりおは思います。

 

 

 

最後に一つ補足。

 

 

実は相手にとっての「課題」が、あなたにとっての「改善可能点」だったりすることがあります。

 

 

誰かから「○○が課題だよね〜」って言われても、それをあなたが「確かに〜!○○が改善できたら、もっと面白いものができそう!」って思って、それが実現した時のイメージがワクワクするものなら、それはあなたにとっては改善可能点です。

 

 

なぜかって?

 

 

相手は「○○が改善されたら、もっといいものになると思うから、改善すべき」というべき論で話しているのに対し、あなたは「○○が改善されたら、もっと面白くなる!」っていう感情ベースで考えてるから。

 

 

「課題」は論理の子であり、「改善可能点」は感情の子である。

――ほりみりお

 

 

ドヤッ!

 

 

 

なんかいい感じにまとまったのでこの辺でお話を終わりにしようと思います♪

 

 

おさらいすると、

  

  • 「課題」は、やんなくていい!
  • 代わりに「すきなこと」をやろう!
  • 「すきなこと」をやって出てくるのは、「課題」じゃなくて「改善可能点」
  • 「課題」は論理ベース、「改善可能点」は感情ベース

 

というお話でしたー!

 

 

そろそろエッセイ第2号も書きたいなー。

 

 

ばいばーい。

 

 

「課題をクリアすれば楽になれる」という幻想

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あなたは今、どんな「課題」に取り組んでいますか?

 

 

夏休みの宿題?売上目標?資金繰り?

 

 

人それぞれ、さまざまな課題があると思う。

 

 

 

わたしも常に何かしらの「課題」を抱えて、それを達成するために邁進してた。

 

 

ただね、ちょっと考えてほしいんだけど、

 

 

 

その「課題」って、達成する意味あんのかなぁ?

 

 

 

「何をこいつは言い出すんだ」って思うかもしんないけど、冷静に考えてみてほしい。

 

 

例えば「今月の売上目標を達成する」が今の課題だとして、それを達成してどうするの?

 

 

それでなんかしらのボーナスが出たとして、どうすんの?

 

 

そのボーナスを使いたいことに使ったとして、どうすんの?

 

 

営業成績が認められて、昇進されたとして、どうすんの?

 

 

 

・・・こうやって問いかけていくとわかると思うけど、目の前の課題をクリアしたところで、果たしてあなたが望んだ世界が待っているか。それは甚だ疑問。

 

 

っていうか、そもそも、あなたがそれを「課題」と認識している以上、それって「苦役」じゃね?って私は思っちゃう。

 

 

だってさ、「○○が課題です」って言ったとき、その「課題」とセットでついてくるものって、「もっとこうしなきゃいけない」「ああしなきゃいけない」っていう、いわゆる「ねばならない」論だよね?「have to do」だよね?場合によっては「must do」だよね?

 

 

「しなきゃいけないから、する」って、それって「課題の奴隷」じゃん。

 

 

本来は「○○したいから、する」を目指しているべきなのにそれが「○○しなきゃいけない」になってたら、それは「苦役」以外の何者でもない。

 

 

だからね、「課題をこなす=自分に苦役を課す」ってこと。

 

 

ほら!「課す」の「課」って、「課題」の「課」じゃん!

 

 

 

そして、そして、

 

 

さっき「しなきゃいけないから、する=課題の奴隷」って話したよね?

 

 

「奴隷」ってさ、

 

 

苦役を耐えたあとどうなるかな?

 

 

 

「あなたはしっかり苦役を完遂しました。だから明日からあなたは晴れて自由の身です。あなたの生きたいように生きてください」

 

 

ってなると思う?

 

 

ならないよね?

 

 

ぜーーーったい、新しい苦役が待ってるよね?

 

 

「奴隷」って、そういうもんよ。

 

 

 

あなたが「課題の奴隷」として愚直に頑張って、仮に目の前の課題が達成されたとしても、そこで待っているのは、新たな「課題」。それを達成したら、また新たな「課題」がやってくる。この繰り返し。

 

 

つまり、

 

 

あなたが「課題の奴隷」である以上、あなたは一生「課題」をこなすことでその生涯を終えることになる。

 

 

「それでもいいの?」っていうのが、私の問いかけ。

 

 

あたしはそんなのやだね。

 

 

その課題をなんとも思ってないならまだいいけど、もし「今は辛いけど」って意識で課題に取り組んでいるんだったら、その「今は辛いけど」は永遠に、

 

 

ずっと、

 

 

死ぬまでついて回る。

 

 

「だったらさっさと死んじまったほうがマシ」って思うから、

 

 

バカまじめな人ほど自分で命を絶っちゃうんだよね。

 

 

 

だからさ、

 

 

「課題をクリアすれば楽になれる」なんて、真っ赤な嘘。

 

 

「課題」の先にあるのは、新しい「課題」でしかない。

 

 

場合によっちゃ、それは最初の課題より大変かもしんない。

 

 

 

アラブの春なんか、その最たる例で、独裁政権倒して民主化したはいいけど、結局その「課題」をクリアしたあとあらたな「課題」が発生して、それで大モメからの内戦。

 

 

イギリスだって、「難民嫌だからEU離脱しよう!」って決めたはいいけど、その後どうよ?

 

 

安倍さんを総理大臣から引き摺り下ろそうとしてるけど、そのあとどうするかまで考えてる?割りと理にかなったこと考えてるなら、まあ止めないけど(笑)

 

 

だから、「果たしてその課題をクリアする意味ってあるのか」「クリアして、どうするか」ってことは、常に考えなきゃいけない。

 

 

というか極論、「課題」と認識しているものは、クリアしないほうがいい。

 

 

「課題」は放置プレイでも、なんとかなります。

 

 

「課題をクリアしないと、○○という悪いことが起こる」っていうけど、結局すべてのものごとってプラマイゼロで、それにあなたや周りの人間が勝手に善悪を色付けしているだけ。

 

 

 

あのヒトラーノーベル平和賞候補にノミネートされてたってご存知?

 

 

考えられないよねー。どんなクズでも、「いやそれはマズイっしょー」って思うよねー。きっとクズネッツもびっくりだよねー。

 

 

 

た、だ、ね、

 

 

第二次大戦前の人たち、中でも当時のドイツ人たちからしたら、ヒトラー敗戦国でズタボロだったドイツを公共事業(アウトバーン建設・国民車(フォルクスワーゲン)構想)とかで復活させた英雄。支持率も90%に迫ってた。

 

 

無断再軍備からのオーストリア併合こそあったものの、ミュンヘン会議で「これ(チェコスロバキアズデーテン地方)以上の領土の要求はしない」とヒトラーが宣言したことで、「第二次世界大戦が回避された」と世界が賞賛し、結果ヒトラーは当時、ノーベル平和賞候補としてノミネートされた。一応、筋は通ってるよね。

 

 

もちろん、その数年後に第二次世界大戦は起こったし、ユダヤ人の強制収容・大量虐殺の実態が白日のもとに晒され、とても彼はノーベル平和賞を取れるような善人ではないということは、今となっては明らかだけどね。

 

 

私も、いくら敗戦国ドイツ再建の立役者とは言え、彼の行いは決して許されるべきではないと思ってる。

 

 

ヒトラー」や「ナチス」というテーマはデリケートなテーマだから、一応私の立場と考えはしっかり述べさせてもらったよ。あとで「ほりみりおはヒトラーを賞賛している」とか言われたらいやだから。そんなこと一ミリも思ってねーから。

 

 

そんなわけで、今でこそノーベル財団は「ヒトラーノーベル平和賞ノミネートはジョークだった」と言っているらしいけど、当時の状況を考えたらジョークだったとは考えづらいんだよね。

 

 

当時の人々にとって、彼は"偉大なる"指導者だったんだから。

 

 

そういやかつて"偉大なる将軍様"もいたよねー。

 

 

調べたら、いまのあの国のトップは"偉大な領導者"って肩書らしい。

 

 

ってか、調べながらブログ書いてたら、タブがめっちゃ危ない人みたいになってるwwwwwwww

 

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あっ、せっかく"あの国"って伏せたのに、このスクショの画像公開したらバレバレじゃんwwwwwwまあいっかwww

 

 

 

話がだいぶ脱線したけど、要は何が言いたかったかというと、

 

 

物事の良し悪しなんて、個人の価値観や世間の風潮でいくらでも変わる

 

 

ってこと。

 

 

 

だから

 

 

「課題をクリアしないと、○○という悪いことが起こる」ってのは、「課題をクリアしないと○○が起こるけど、それは悪いことだと思う」の間違いで、しかもその「○○」を悪いと決めつけているのは自分自身なんだよ。

 

 

 

「ちょっと待てよ!「○○が悪」ってのは世間の風潮であって、それを俺のせいにすんなよ!」

 

 

そんな声が聞こえてきそうだけど、もし世間の風潮がそれを「悪」と決めつけていたとしても、受け入れられるかどうかは別として、それをあなたが「善だ」と言い張ることはできるよね?

 

 

と、いうことはだよ、

 

 

「○○が起こることは悪いことって世間が思ってるから、○○が起こるのは悪いこと」ってただの責任転嫁じゃん!

 

 

結局「○○が起こるのは悪いこと」って決めてるのは自分自身なのに、それを世間のせいにしてるだけ。

 

 

でも人間ってさ、自分に責任が降りかかるってなると、自己防衛本能が働いて、責任から逃げたくなるものなんだよねー。

 

 

弱いよねー、人間って。

 

 

クズだよねー。

 

 

クズだから「目の前の課題をせっせとこなせば、いつか楽になれる」って見当違いなこと考えちゃうんだよねー。

 

 

 

でもさー、だからといって何もやらなくなったら、それこそ本当のクズになっちゃうよねー。

 

 

じゃあどうすればいいかって?

 

 

お話したいところだけど、もうすでにとんでもない長さになってるみたいだから、また次回話すねー。

 

 

ばいばーい!